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私を幸せにするライフスタイル BONITA message
2009.02.02.更新
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■ 島の家族が教えてくれた、新しい家族のあり方

出生率日本一の沖縄

夏の水納島のビーチ
夏の水納島のビーチ

 「家族」という言葉に、どことなくノスタルジーを感じてしまうのは、現代社会において家族がうまく機能してこなくなっているからではないだろうか? テレビをつけると、連日のように親の子殺し、子どもの親殺しが報道されている。

 一方、沖縄を歩いていると、子どもの多さにまず驚く。それもそのはずで、沖縄県は、「合計特殊出生率」日本一でもある(厚生労働省発表)。道には、キャッチボールや鬼ごっこをしている子どもたちで溢れ、パーラーの店先には50円玉を握り締めた子どもたちがカキ氷を求めて並んでいる。一杯のカキ氷を何人かの子どもたちが一緒になって食べている様子をうかがっていると、なんとも微笑ましい気持ちになる。

水納島でおぼえた家族の温もり。

水納島との出会いがすべてを変えましたね、と話す森田ひふみさん。
水納島との出会いがすべてを変えましたね、と話す森田ひふみさん。
 群馬県出身の森田ひふみさん(31歳)はそんな「家族」の原風景に憧れて沖縄に移住したうちの一人である。
 「幼い頃から両親が不仲でした。家庭の中ではなんとも居心地が良くなかったですね。自分で生活できるようになったら家を出ようと思っていたんです」
 デザイン系の専門学校を卒業後、バーテンや工場で働いた。収入の高さは自活の下地を作るうえで魅力的だった。
 「あるとき、友人と沖縄旅行に出かけたんです。初めて行ったのが、本島の本部町、そして水納島でした。海のきれいさにやられましたね」
 そう彼女が言うとおり、数ヶ月後には水納島を訪ねた。それ以降、毎年シーズンになると水納島のパーラーで働いた。島へ帰ると、「おかえり」と言ってくれる。ささやかなことではあるけれども、そうしたことひとつとっても、「家族」の温もりを感じずにはいられなかった。ビーチに出なければ携帯電話も使えない水納島での生活は不便ではあったけれども、彼女の滞在受け入れ先になっていた老夫婦だけの家庭での生活はなんともいえない温もりがあった。

自然体になれて初めて気づいた自分の天職

 「沖縄では自然体でいられるんです。身構えることも必要ない。そうしているうちに自分が何をしたいのかがわかってきました」
 そう語る森田さんが就いた職業は琉球ガラス工房の見習いだった。「南の島でガラスを吹いて生活する」――なんとなくメルヘンチックな想像を掻き立てる職業だが、しかし、現実は厳しかった。最初に門を叩いたガラス工房はガラの悪い二十歳かそこいらの青年が工場長を勤めていた。怒鳴り散らしたり、鉄拳制裁などはあたりまえのようにある。その上、工房経営者の、沖縄県外からの移住者に対する差別もあった。精神的に耐えられなくなって辞めていく人が多いなか、森田さんは歯を食いしばって技術を身につけた。
 「逃げ出したら終わりだと思いました」
 彼女のその負けん気な姿勢はやがて一目置かれるようになるが、その頃、他のガラス工房で見習いを募集しているという情報を耳にした。その工房には沖縄県最大の美術展・「沖展」に作品を出展し、活躍する職人が複数いる。森田さんは工房を移った。
 「生きているという実感がありました」
 その頃を振り返り、森田さんは笑う。社会保険のない月収8万円の生活は貧しさを極めた。自宅から職場である工房まで距離があったため、ガソリン代も馬鹿にならない。気づけば赤字になることもよくあった。食事に事欠く状態で板チョコを少しずつ齧りながら一食分としたこともあった。見る見るうちに体重は減っていった。
 「苦しいと思ったことはないんです。父が職人だったというのもあるんですが、収入の安定したサラリーマンになるとは思ってもいませんでした。手に職をつけるためには当たり前のことだと思っていましたね」
 ピンチは必ずしもピンチではない、という天性の楽観主義も彼女の身を助けた。窮状を知った地元群馬の旧友から「救援物資」と称してしばしば食品が送られてくることもあった。そうしているうちに彼女は「吹き手」といわれる、吹きガラスの世界では花形のパートを務めるまでに成長した。
ガラスを加工するグローリーホール。1300℃以上の熱を持つ。
ガラスを加工するグローリーホール。1300℃以上の熱を持つ。

さぁ、シーズンの到来だよ。いつから働けるね?

水納島のメインストリート。パーラーはこの道沿いにあった。
水納島のメインストリート。パーラーはこの道沿いにあった。
 しかし、困ったことが起きた。工房の事情でどうしても工房を抜けざるを得なくなってしまったのだ。いよいよこれからますます楽しくなるというところだった。いくつもの工房にかけあうが「いまは人を募集していない」という返答しか得られなかった。ようやく見つけた工房も採用は半年待ち、という状態だった。しかし、ガラスはつづけたい。せっかく掴んだ天職をあきらめることが出来なかった。森田さんは半年待つことを選んだ。人生の別れ道で、彼女は困難な方を選んだ。しかし、憂いはなかった。
 「人づてに生活に困っているって聞いたんでしょうね。水納島の“お母さん”からある日電話があったんです。さぁ、シーズンの到来だよ。いつから働けるね? って」
 その夏、森田さんは水納島のパーラーでタコライスやカキ氷を作って生活した。懐かしい「家族」との再会に、熱いものが込み上げた。水納島の空は相変わらず突き抜けていて、海の透明度はこの世のものとも思えないほど美しかった。
森田さんの手によるキジムナー。沖縄のやんちゃな子どもたちの表情に似ている。
森田さんの手によるキジムナー。沖縄のやんちゃな子どもたちの表情に似ている。
 そうした生活の中で、彼女は以前からあたためていた構想を実現する。自身の工房・「ひふみ工房」の立ち上げである。
「次の工房に移るまで時間があったおかげで自分の工房を開こうという気にもなれましたし、結果オーライですね」
 あくまでも明るく森田さんは笑う。現在彼女は、沖縄に母を呼び寄せるための準備を進めている。沖縄が媒介となって「居心地の良くなかった家庭」がいま新しく生まれ変わろうとしている。そこにはきらきらとした森田さんの希望が輝いている。
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WRITERS NOTE
【NAME】佐々木仁孝
沖縄は「癒しの島」とマスコミなどに謳われて久しいですが、実際の沖縄生活はどうなのか。移住者(ときに沖縄県民)を取材し、その実態をご紹介します。
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