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私を幸せにするライフスタイル BONITA message
2009.01.12.更新
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■ 野人になったIT社員の話 その3

走るだけじゃないんだ、と気づかされる。

笑顔の絶えないガラス工房
笑顔の絶えないガラス工房

 野外で全裸になれるような生活は不便ではあったが、不幸ではなかった。むしろ、毎日がお祭りのような高揚した気分で野宿生活を満喫していた。滞在期間を延ばすために、工房のあるテーマパークで企画コンサルタントとして就職を決めた。このとき東京からマイカーをフェリーで運んだが、その際、心療内科にも顔を出している。


  「どうですか、調子は?」
 と医師に訊ねられ、
「病気を意識しないでいられます。最高です」
 と返事したことを覚えている。
「病気といっても所詮“人間関係”なんです。東京で作ってきた人間関係に無理があったのでしょう。沖縄ではご自身で快いと思った人間関係を築けているということでしょうね。あなたの病気は雲隠れすれば治る、ということです」
 といって医師は笑った。私の気持ちはものすごく弾んでいた。

 

 大人になってからの環境や友人は、自分で選ぶことができるし、自分で作ることもできる。生まれ故郷である東京を離れてみて、そのことを私は深く実感した。「雲隠れすれば治る」というのも、あながち冗談でもなさそうだった。それまでの人生は常に目標が目の前に掲げられてそこにむかって走りつづけてきた。それを運動場でたとえるなら常にトラックを走っていた、ということだ。沖縄での生活は、「運動場」という場は与えられるが、あとは自分で何をするかを決めなければならない。隣では砂山を作って遊んでいるかもしれないし、その隣では鉄棒をして遊んでいるかもしれない。走ることだけじゃないんだ、ということをガラス工房の職人さんたちを通じて学ぶことができた。

あんた、うちなんちゅを馬鹿にしているよ!

沖縄の悲しみ、ぬくもりを描いた灰谷健次郎の小説「太陽の子」。筆者は「太陽の子」の影響をかなり受けていた。
沖縄の悲しみ、ぬくもりを描いた灰谷健次郎の小説「太陽の子」。筆者は「太陽の子」の影響をかなり受けていた。

 そうした「気づき」を与えてくれた沖縄は、それだけでも私にとって「恩人の島」といえた。私は盲目的に沖縄を愛し、沖縄に関係しているのであればなんでもいい、と思うようになった。世に言う「沖縄病」の発症である。こうした「沖縄万歳」なナイチャーは、あまり度が過ぎるとうちなんちゅには警戒される。「困った人だね」といった感じで案外冷ややかに観察されるものだ。

 

 そして事件が起きた。

 「あんたね! 前々から思っていただけど、今日は言わせてもらう! あんたうちなんちゅを馬鹿にしているよ! そんなんじゃ沖縄にはいられないよ!」

 私にとっては青天の霹靂だった。年配の部長が怒鳴っている。何が彼を刺激したのか私にはまったく理解できなかった。
「誤解です。馬鹿になんてしていません」
 最初は穏やかに対応していたが、部長の怒りは収まるところを知らない。「そんな態度じゃ沖縄にはいられない」という激しい拒否反応を示されて、私も黙ってはいられなくなった。
「沖縄という土地、沖縄で知り合った人々に私は命を拾われたんです。命の恩人といっていい。野宿してまで沖縄に残ろうと思った私の思いをあなたは理解できますか! 馬鹿にしているのはあなたの方です。撤回してください」
 気づいたら机を叩きながら私は大声を張り上げていた。部下に怒鳴られた部長は目を丸くして黙ってしまった。瞬間「やってしまった」と思った。同じように叫んで、「自殺特集記事」をお蔵入りにしようとして、逆に自分がつらい状態に陥ったことを思い出した。血の気がだんだん引いていくのがわかった。
「沖縄でもやってしまった」
 と思ったら、涙が溢れてとまらなかった。
「失礼します」
 といって私は事務所を出た。すると、騒ぎを見ていたスタッフたちが私を取り囲んだ。
「すごいよ。よくやったよ。部長は自分の立場が危ういと思って何かとあなたに難癖をつけようとしていたからね。はっきりいってやってよかったよ。これでなめられることもない。英雄だね」
 一人がそういって涙目になっている私の両肩に手を置いて慰めると、10名ほどいたほかのスタッフが拍手した。
「でも、部長の面目をつぶしてしまったことはよくないです」
 と私がいうと、そろりと部長が事務所から出てきた。そして私の姿を見るなり、体を直角に曲げて、
「先ほどは、誠に申し訳ございませんでした」
 と謝罪してきた。その姿に私はまた泣けてしまった。

かつて本土の人間は沖縄を差別していた。

いつも親切にしてくださる食堂「おいシーサー」のお母さん
いつも親切にしてくださる食堂「おいシーサー」のお母さん

 沖縄で生活をしていると、「うちなんちゅ/ないちゃー」というたてわけかたをよくされる。ないちゃーにだって時間にルーズな人は普通にいるはずだが、「ないちゃーのクセに」という冠がつく。

 

 これに特別な意味が出てくるのは4、50代以上の沖縄の男性で、集団就職のために東京などに出た経験を持つ人々だ。今ではまったく考えられないが、居酒屋の入り口には「琉球人立ち入り禁止」という札が公然と掲げられていたそうだ。アパートを借りる際も、沖縄出身、というだけで拒まれることがままあったそうである。学校では方言を話すことが厳しく罰せられ、方言を話すと「方言札」を首から架けられたのだという。また、アメリカ統治時代の影響もある。「親米反日」感情が知らず知らずのうちに植えつけられもしていた。なのでその世代と打ち解けることが一番難しかった。

 

 先にあげた「部長」の例は、そうした先入観によるものだと思われる。その部長以外にも、初対面にもかかわらず、「君のようなヒッピー崩れが沖縄に来るから沖縄はいつまで経ってもよくならない。親を泣かせるんじゃないよ、早く帰りなさい」とその世代のオジサマ方にはご忠告を受けたりもした。野宿しているのは、ヒッピー崩れでしているわけではなく、24時間ガラスを焚いているガラス工房に張り付いていたためだが、理解はされなかった。

 一方、「ガラス工房で野宿しているんです」というと、「それは大変! 食堂の座敷に寝ていきなさい。布団を持ってきてあげるから。鍵もあずけるから」と、初めて入った食堂のお母さんに言われたこともある。お母さんは見も知らぬ私のために底抜けの親切心を注いでくれる。食べきれない量のおかずをどんどん出してきて、「明日の朝ごはんにしなさい」といって折り詰めまで作ってくれる。そのどちらもが、沖縄の顔なのだ。

 

 

(次週につづく)

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【NAME】佐々木仁孝
沖縄は「癒しの島」とマスコミなどに謳われて久しいですが、実際の沖縄生活はどうなのか。移住者(ときに沖縄県民)を取材し、その実態をご紹介します。
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