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2008.12.29.更新
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■ 野人になったIT社員の話 その1

沖縄に渡って決めた3つのこと

滞在したガラス工房の周囲はサトウキビ畑しかなかった。
滞在したガラス工房の周囲はサトウキビ畑しかなかった。

 第5回目の今回から何回かにわけて私自身の「沖縄生活」について述べさせていただきたいと思います。私の経験している「ゆるゆる」が何かのお役に立てれば幸いです。



 沖縄に渡った当初、私が自身に課したことは3つあった。
一つは「先のことを考えない」、もう一つは「我慢しない」、そして最後に「がんばらない」ということであった。

 沖縄に渡った当初、私は野宿していた。それまで外資系のコンピュータメーカ(いま使っているPCもその会社の製品ですが)に勤務していて、まがりなりにも収入は安定していた。東京では普通の部屋にも住んでいた。それが、沖縄に来てまず最初に余儀なくされたことは「野宿」だった。沖縄では、大学時代の友人が琉球ガラス工房を営んでいたが、当初の目論見としては、彼の家に転がり込んで1ヶ月ほど沖縄を放浪しようと思ったのである。しかし、その大学時代の友人自身が、家に住んでおらず、屋根だけのある吹きざらしのガラス工房に住んでいた。仕方なく、私もそこに住むことになった。結論から言うと「1ヶ月の放浪」の予定が、東京の会社に辞表を書いて、かれこれ5年、沖縄に滞在していることになる。野宿生活は約1年ほどつづいた。思いのほか、快適だったのである。

野宿生活、はじまる。

寒い冬は溶解炉の脇にビーチチェアを寄せて眠った。
寒い冬は溶解炉の脇にビーチチェアを寄せて眠った。

 野宿生活は新鮮だった。周囲はサトウキビ畑しかない。夜になるとヤモリがケケケと鳴きながらその辺をちょろちょろしている。また、野良猫の一家がまさにガラス工房の住民かのように寛いでいた。夜も深まれば野犬の運動会が始まる。外灯も何もないガラス工房の夜は、月影が月影として明るく、その明かりで本が読めた。

 零れ落ちてきそうな空の星を仰ぎ見ながら、唯一の家財道具であるビーチチェアに身を預けて眠った。当事大学の後輩がぐるなびの沖縄支社長をしていたが、その彼をして「こんな都市伝説みたいな生活をしている人が、まさか自分の先輩にいるとは驚きです」と言わしめたその生活は、たしかに常軌を逸したものだっただろう。風呂もなければシャワーもない。体は蛇口から出る水で洗い、服は手で洗った。本当に何にもない生活だったのである。もしこれが終わりのある「レジャー」であるのならば、楽しいだけで済んだかもしれないが、これが「生活」そのものだった。

 その頃はまだ私は「東京の感覚」を残してもいたので、先のことを考えると不安で仕方がなかった。当時はまったく収入もなかったのである。貯金を切り崩して「野宿」していた。一方、ガラス工房を経営している友人も、工房を立ち上げたばかりでその借金が残っていた。

 彼はそんな野宿生活を3、4年つづけていたのである。不安に駆られる私に、彼はよくこういって聞かせてくれた。


「未来だ、将来だといったって、<いま>の連続でしかない。まだ来ない先のことを不安に思って<いま>をつぶしてしまうより、<いま>を楽しめ。明るい<未来>はそこにある」


「俺、帰る」

 と言って東京に帰ることもできた。しかし、彼の言葉を信じてみよう、と思った。そして、沖縄での生活で最初に自身に課したことが「先のことを何も考えない」ということだった。野人のような生活は、冷静に先のことを考えたら絶対にできない。しかし、それを「楽しむ」という風に意識を変えてみたら、もしかしたら、生きたいように生きられるかもしれない、という予感があった。

沖縄に渡ったきっかけは逃亡だった。

子猫たちに唯一の家財道具・ビーチチェアも占拠された。
子猫たちに唯一の家財道具・ビーチチェアも占拠された。

 学生時代、そのガラス工房を営む友人と「将来の夢」を語りあったことがある。私は作家になる、と彼に言った。もう10年以上も前のことを彼は覚えていた。彼は私が作家になるということを、ある意味私以上に信じてくれていた。しかし、実際は10年余りのサラリーマン生活で仕事に忙殺され、小説を書く時間もとることはできなかった。

 学生時代からライターの仕事はしていたが、会社を休職するきっかけとなったのは、ある雑誌の特集記事を担当したことによる。当事練炭自殺が流行っていた。それをうけて「自殺を考える座談会」を組むことになったのだが、出版社が用意した子たちの多くはオーバードーズをする子たちやリストカッターだった。


 今では常識だが、オーバードーズやリストカットは死に至ることを目指してするものではない。それを編集者が面白おかしく、「自殺をするときってどんな感じだった?」と訊ねていく。困惑する子たちを見ながら、私はこれは特集にできないと思ったし、記事に起こすこともできないと思った。案の定、座談会が終わった後、参加した子の多くから、「座談会自体に違和感をおぼえた」、「座談会に出席した後から精神的な障害が重くなった」といったようなメールや電話をもらうようになった。私は雑誌が出る直前まで編集長と喧嘩をした。「興味本位な覗き見趣味で現にいま目の前にいる子たちを苦しめてしまうことはメディアのすることなのだろうか?」と。結論から言えば、特集の見出しや内容に多少の変更はあったものの、彼女たちを守る、というところまでには至らなかった。私は自身の不甲斐なさを感じた。何のために仕事をし、モノを書いているのだろう? と思い悩んだ。そして悩んだ末に、沖縄に逃亡したのである。



(次週につづく)

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【NAME】佐々木仁孝
沖縄は「癒しの島」とマスコミなどに謳われて久しいですが、実際の沖縄生活はどうなのか。移住者(ときに沖縄県民)を取材し、その実態をご紹介します。
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