気の遠くなるような細かい作業で作り上げられたビーズ細工 |
もともとのメキシコ原住民族であるインディヘナは16世紀初頭のスペイン人上陸以降、二通りに別れました。スペイン人と混じり、彼らの生活に馴染んでいったものと、スペイン文化の侵攻から民族の文化と血筋を守ろうと逃げていったもの。
21世紀の今も、メキシコ各地には現代文化をかたくなに拒み、自分たち独自の文化、生活を営んでいる民族が数多くいます。
今回は、そのうちの一つ、ウィチョール族と彼らの生活を支援している一人の女性をご紹介します。
もともとのメキシコ原住民族であるインディヘナは16世紀初頭のスペイン人上陸以降、二通りに別れました。スペイン人と混じり、彼らの生活に馴染んでいったものと、スペイン文化の侵攻から民族の文化と血筋を守ろうと逃げていったもの。 21世紀の今も、メキシコ各地には現代文化をかたくなに拒み、自分たち独自の文化、生活を営んでいる民族が数多くいます。 今回は、そのうちの一つ、ウィチョール族と彼らの生活を支援している一人の女性をご紹介します。 |
村と都市とのパイプ役
グアダラハラからそこに向かうには、車で半日、そこから先は徒歩で3日かかる、と言われている程、現代的な文明から物理的にも隔離されているのです。そういった「僻地」に逃げ込む事で、500年以上もの間、スペインなどの西洋文明、現代文明から逃れ、自分たちの文化、生活様式、血筋を保っているのです。 アナ・パウラさんは1980年代に、彼らウィチョール族の村を文字通り尋ね歩きました。 幼なじみである看護士のロシオさんとともに、ウィチョールとその他のインディへナの人々が貧しさに苦しんでいるのを見かねて、少なくとも無医村を無くそう、生活を少しでも楽にできるように、との思いからです。 当時、バックパックだけで何日も山の中を歩きたどり着いた先の「山の村」には、ガスも電気も水もなく、ウィチョールの人々はほぼ自給自足で生活をし、栄養・衛生状態もとても悪かったと言います。 これだけ人里離れていれば、外界との接点もないし、現金収入もありません。そうするしかなかったのです。 ロシオさんは衛生面を、アナ・パウラさんは経済面を少しでも良くしようと、何度も村を訪れました。 もちろん、最初は拒絶されましたが、次第に彼女達の熱意と民族への敬意を村の人々は理解し、受け入れるようになりました。 アナ・パウラさんがしていることは、彼ら独自の文化と芸術、伝統をそのまま外界に持って行き、それを紹介するとともに販売、利益を村に還元するというもの。 いわば、村と都市とのパイプ役。彼らの素朴で緻密な作業が必要とされ、祈りでもある手工芸を、現代の都市文化に上手に溶け込ませています。 |
アナ・パウラさんが主に進めているのは、この伝統文化と現代文化の融合、フュージョン。彼らの刺繍をクッションカバーやベッドカバーに施した物を、国内外の高級ホテルなどに紹介しています。 また、身近に感じてもらえる様に、アクセサリーとしても販売しています。 |
|
村の文化と都市文化の融合
彼女達の考えは「売って生計を立てる」というよりもむしろ「文化を理解、共有して生活を向上させる」こと。だからといって村の生活を必要以上に華美にしたいわけではなく、彼らの文化と現代文明を共存させたいだけ。 山奥の村の生活は過酷で、時には都市の病院に通わなければならない事もあります。ですが、宿泊代など払える訳がありません。アナ・パウラさんは村の人々の必要な時に自宅を開放し、「mi casa es tu casa 私の家はあなたの家」というメキシコらしい考えで手助けをしています。 |
Ana Paula Reyes anapaulatextiles@prodigy.net.mx |